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応報感情の急性期・慢性期 [生活/くらし]

毎日新聞 正義のかたち:死刑・日米家族の選択/4 許し、慰問する被害者の母

 ◇憎しみの人生に疑問

 <敬愛する ミッキーさま

 12年前、私には美しい娘がいました。あなたに命を奪われた子です。あなたが罰せられることを夢見てきましたが今、あなたを許せることに自分自身、驚いています。

 キャサリーンの母より>

ゲイル・キャサリン.jpg 米西部オレゴン州シルバートンに住むアバ・ゲイルさん(72)は92年4月、カリフォルニア州サンクエンティン刑務所のダグラス・ミッキー死刑囚(60)に手紙を書いた。数週間後、感謝するとの返信を受けたゲイルさんは同年8月、刑務所を訪ねる。

 案内されたのは死刑囚ばかりの棟。「怪物」ばかりだと思っていたが、死刑囚は誰も物静かで礼儀正しかった。待つ間、緊張で心臓の鼓動が高まった。約45分後、目の前に現れたのは「ごく普通の男性」だった。

 2人は3時間以上、語り合った。ミッキー死刑囚が16歳の時、母を自殺で亡くしたことも知る。「2人はキャサリーンについて話し、一緒に泣きました。私が娘を奪われた夜、ダグ(死刑囚)も未来を失ったのです」

    ◇

 事件は80年9月に起きた。ゲイルさんの次女、キャサリーンさん(当時19歳)は、カリフォルニア州のアパートに音楽家(当時30歳)と同棲(どうせい)していた。薬物を巡るトラブルからミッキー死刑囚は知人の音楽家を刺殺、キャサリーンさんも殺害した。日本に逃走したが、81年に逮捕され83年9月、刑が確定した。

 数年間、ゲイルさんは「泣いてばかりでバケツ何杯もの涙を流した」。その後、悲しみよりも、犯人を憎む気持ちが強まる。死刑執行に立ち会い、苦しむ姿を見ようと誓った。

 しかし、事件から8年がたち、憎しみで終わる人生に疑問を持った。教会などを訪ね、怒りの感情が、平和や愛を求める気持ちに変わった。事件から12年、ゲイルさんは不思議な「心の声」を聞く。「許し、それを相手に伝えなさい」。その直後に手紙を書いた。

    ◇

 ゲイルさんが犯人を許すまでにかかった時間は12年。一方、米東部ニュージャージー州で8年前、強盗の男に両親を殺害されたシャロン・ハザードジョンソンさん(52)は、07年暮れに州が死刑を廃止したため、犯人の死刑を墓前に伝える機会を失う。「私の心は壊れたままだ」

 州議会で死刑の是非が議論されている間、死刑維持を主張し続けた。「犯人を許すことも、復讐(ふくしゅう)することもできず、正義に期待するしかなかった。両親は、正義に値する人だった」

 死刑の維持や執行の停止が州によって異なる米国。死刑を望んでもかなえられないハザードジョンソンさんのような遺族は少なくないとみられる。それでも、ゲイルさんは言う。「死刑は遺族を増やすだけです」。ゲイルさんは今、死刑廃止を訴え全米を講演。ミッキー死刑囚を「友人」と呼び、定期的に慰問する。「キャサリーンの声が聞こえるんです。『ママは間違っていないわよ』って」【シルバートン(米西部オレゴン州)で小倉孝保】=つづく

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 ■ことば

 ◇米国の死刑制度
 米連邦最高裁が1972年、死刑を違憲と判断し各州が中止したが、76年の合憲判断で復活が相次いだ。現在、全米50州のうち死刑を規定しているのはカリフォルニアやテキサスなど36州。執行停止の州も多い。死刑復活から08年末までの執行は全米で計1136件。ほとんどが南部。執行は薬物注射で、家族や被害者遺族、ジャーナリストの立ち会いを認める州も少なくない。

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サン・クエンティン刑務所.jpg死刑制度の是非に関する問題提起として大変興味ある事例であるとともに、振り返って日本における刑事裁判との比較において、感じることがあり、取り上げました。

殺人事件被害者の遺族が、このゲイルさん同様に加害者を許せる境地に達せるか、また達するべきかというとそうは思えません。宗教の問題もあります。ただ、それにしても対極にある日本人の応報主義に嘆息せずにはおられません。
すぐに想起されたのが、被害者参加制度導入後の、過失事件です。大半の刑事裁判で、被害者や遺族が被告人に対して少しでも重い量刑を、厳罰を、と訴えます。ある意味当然のことです。事故が起きたあとのショックや悲しみが何ら癒えていない時点で、被告人に憎しみの感情を抱くな、という方が無理な話です。
だからこそ、そういう怒りの頂点にいる被害者・遺族を法廷に入れることには大いに疑問を持ちます。応報感情のピークにあるエネルギーが判決を重い方にシフトさせてしまうようでは、公正な裁判は望むべくもありません。

過失ではない故意である殺人でさえ、本ニュース記事のように遺族が加害者を許すということもあり得る訳です。以前にも書きましたが、まして過失致死・致傷であれば、時間の経過により被害者や遺族が、加害者に対して持つ感情が変わってくるのは想像に難くありません。事故からあまり時間の経過していない法廷では量刑そのものを少しでも重く、執行猶予が確実な場合でもその年数を少しでも長く、という主張が報道されます。こうした主張は感情的には理解できるものの、一方でいやな気分になります。

さて、死刑廃止については私も賛成です。「死刑は遺族を増やすだけです」という言葉、重く受け止めるべきではないかと思っています。

そして、故意による殺人でも、過失致死事件でも、遺族の急性期の応報感情を法廷に入れることは、決して正しくないと思います。他の視点から異論のコメントも頂戴していますが、この点から被害者参加制度の廃止を望んでいます。
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きゅんぱち

被害者参加制度の廃止は現時点ではワタクシはなんとも白黒ハッキリできないでいます。
こちらに投稿されている先生方のコメントも含めて、もう少し勉強させていただきたいと思っているところです。
その一方でですね、足立区での女子高生コンクリート詰め殺人事件にあるような、再教育効果の適用不可でかつネコの皮を被った野獣人格の奇人変人気質な犯罪者もいますよね。
実際に再犯を犯してますし。
こういうのについては、ワタクシは人権を考慮する必要は全くないと考えております。
したがって死刑については制度そのものは存続させておきつつ、記事にあるような再教育効果が適用し得るケースも考慮に入れて、執行するかどうかの判断を弾力的に運用すればいいと思っております。
by きゅんぱち (2009-06-02 12:28) 

筍ENT

きゅんぱちさんご訪問ありがとうございます。

まず被害者参加制度については、今まで頂戴したコメントで、同制度導入でむしろ初めて検察側と被告人側が対等になるのではないか、という考え方を示して頂きました。
そこで、今回はちょっと切り口を変えて、この応報感情というものの時間的経過をも考慮に入れてみては、と思った次第です。

死刑制度の是非については、実は私はまだ何が何でも廃止、というほどまでは考えがまとまってはいません。
ただ、やはり国家権力が、犯罪者とは言えその者の命を奪うということに違和感があります。
ちょっと考えすぎかも知れませんが、死刑廃止しておけば、思想弾圧などが始まって粛清が行われるような国家になることに対してのブレーキになるかも知れない、などとも考えてみています。

コメントありがとうございます。
by 筍ENT (2009-06-02 20:14) 

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