インバル/都響の第九 [音楽/読書]
ベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」は、あまりにも日本人の年末と関連づけられ、またアマチュア合唱団も年末に向けて練習を重ね、多くのコンサートホールで第九が演奏されていることと思います。
ただ、小中学校の音楽の教科書も変貌を遂げ、もしかすると「歓喜の歌」も「遠き山に日は落ちて」も今の子供達は教わっていないのではないかという心配もありますが。
しかし何より第九はあまりにも有名であり、わざわざ生演奏を聴きに行く気が起きず、これまで第九の生を聴いたことがありませんでした。CDだけはフルトヴェングラー/バイエルン放送響はじめ、バーンスタイン、ヴァント、ムーティ等多数手元にあります。CDさえ普段はあまり聴いていませんでした。
間もなく都響のシェフに就任しそうなインバルが本日池袋・東京芸術劇場で都響・二期会合唱団と第九を休日に演奏するということで、一応インバルファンの私としては行かないわけにいかなく(?)なりました。
本日の演目は、同じベートーヴェンの「レオノーレ序曲第3番」、そして第九でした。
レオノーレでは、都響はインバルの指揮棒によくついて行き、歯切れの良い演奏を聴かせてくれました。
一方第九では、インバルはかなりの速さでオケを引っ張ろうとするのですが、オケがついて行けていないように見えました。第1楽章では1小節くらい指揮棒が先に行っているように見えるところもあり、事前に徹底的に練習すると言われるインバルと都響がどのくらい練習していたのかが気になりました。
勘ぐれば今回都響とマーラーの6番、7番も演奏したようで、そちらに注力したあまり第九がちょっとお留守になったのではないかとも想像できます。
フィナーレに至るまでインバルのテンポは速く、デュナーミクも豊かな表現ではありました。フォルテッシモを与える時のインバルの両手は高く上がり、時に左手は天を指し、元気な姿はよく伝わって来ました。
人間は加齢に伴って時間の経過が早く感じられるようになるので、音楽においてもテンポが速くなるのでしょうか。一方でチェリビダッケのように極端に遅いテンポになっていった指揮者もいます。音楽家の精神的熟成に伴う変化と考えるべきなのでしょうか。
都響のシェフになれば、インバルの指揮を見る(聴く)チャンスも増えそうで、今後期待したいと思っています。
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