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業過致死傷罪、再び [医療制度/行政]

読売新聞 ニアミスで管制官有罪の高裁判決、柳田邦男さんら見直し要請

柳田邦男.jpg 静岡県焼津市上空で2001年、日本航空機同士が異常接近(ニアミス)した事故で、業務上過失傷害罪に問われた管制官2人が東京高裁で有罪判決を受けた裁判(上告中)について、ノンフィクション作家の柳田邦男さんら5人が27日、高裁判決の見直しを求める要請書を最高裁に提出した。

 昨年4月の東京高裁判決は1審の無罪判決を破棄し、執行猶予付きの有罪とした。2人はこれを不服として最高裁に上告している。

 柳田さんらは、ニアミス事故について、複合的な要因によって起きる「組織事故」であり、個人の責任追及は再発防止につながらないと指摘。

 高裁判決について「航空界のみならず広く産業界などの安全への取り組みをゆがめる恐れがある」として、見直しを求めた。


私が一番繰り返し取り上げて来た問題と言えるかも知れません。柳田邦男氏らの訴える通り、個人の責任を追及することに汲々としている現行法では、真の事故再発防止は実現できません。
医療事故を一番取り上げて来ましたが、航空機、その他交通システム、そして全ての危険を伴う業務において、事故を未然に防ぐためには、ヒューマンエラーの入り込む余地を少しでもなくすこと。エラーが発生した時はシステム全体から検討、再発防止に資することが一番重要であることは間違いないでしょう。

ニアミス.jpgしかし現行法の業過致死傷罪は、個人に注意深く業務を執行させるために存在するのだ、と教わると、弁護士の先生からも聞きました。要するに「ミスをしたらお前は罰せられる、職も失うかも知れない」という脅し・圧力をいつも感じながら仕事をすることになります。果たして人間はこれでミスを根絶できるのでしょうか。
かなり前に書きました。細くて長い平均台を渡りきるために、片方は落下してもケガをしないようにマットレスを下に敷き詰めておく。もう片方は剣山よろしく刃を上に向けてぎっしり並べておく。後者で平均台通過成功率が上がったというエビデンスがあるのならわかります。

繰り返し書いて来た業過致死傷罪廃止、書くたびたいてい反論を頂戴して来ました。単純に廃止するのではなく、被害者の立場からのみ作られていると思われるこの法をもう一度考え直しても良いのではないかと思っています。
即ち、何人の人が死亡・受傷したか、その程度はどのようなものか。現行法ではこれが業過致死傷罪被告人の量刑を一番左右しています。そうではなく、被害者は民事やその他の救済で対応し、刑事罰を与えるというのなら、どのような安全義務違反を為したか、を刑事罰の根拠とすべきだと思うのです。

管制官.jpg結果のみに目をとらわれて過失を為した者を厳罰に陥れても誰も幸福になりません。せいぜい被害者・遺族の一時の応報感情を満たしてみせる程度です。

そして真の事故再発防止に対して個人の責任追及は何ら役に立たないばかりか、当然の権利である保身のために当事者(「容疑者」、「被告人」)が口をつぐむことによって、原因解明は阻止されます。これで良いのでしょうか。

最高裁判事達の賢察に期待してみたいと思います。
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きゅんぱち

なるほど。
平均台の例えはズバリわかりやすいですよね。
おっしゃるとおりだと思いますよ。
げんに求職者の就職活動にあっても、このような矢面に立たされて万一失職しても会社は存続するような職種は避ける傾向にあるようです。
要はおっかなくって応募できないと考えるのでしょうね。
雇う側っていうのは、何か重大な事故が起こると現場の人間に責任を被らせてそれで
「ちゃんちゃん」
とする締め方を平然と実行しますからね。
実体を扱う職種というのは、そういった意味でのリスクが大きいですよね。
職場の風土やリスクヘッジへの危機感の共有を経ずして、誰が悪いのか、をまず一等一番先にハッキリさせることに執着している傾向があるんでしょうかね。
というのも、私見ですが、事故は起こらないものだ、という前提で今までやってきて、ときとして

          「もみ消し」や「ひた隠し」

で済んでいたものが情報化社会が成熟しつつある中で

        「隠すも消すもやりにくくなってきた」
         「いろんなことがバレてくる時代」

になってきたということがあると考えています。
この時代の変化に対して行政も企業も従業員も法も対応できていない例なのかなと思います。
これは決して「いままでがまずかった」とひっくり返すわけではございませんでして、視点の転換が必要なのだと考えるところです。
すなわち、事故は起こるものだ、と。
前提条件を180度転換するのがいちばんシンプルで現場の従業員は仕事をしやすくなると思うわけです。
こうすることが、実はトータルな企業力・スキルアップ・柔軟な法律の運用につながっていくのだと思うのですが、いかがでしょう?

今、注目しているのは、振り替えが利かなかったり失敗が許されない職種でも飄々と職務を逐行されている方々の、「結果」ではなく「職務における内部環境と外部環境」の共通点は何か、ということです。
by きゅんぱち (2009-05-05 21:12) 

筍ENT

きゅんぱちさん、ご訪問ありがとうございます。

最初にご指摘のように、何か事故が起きた時に、現場の職員に責任を負わせて、会社はそのような過失を為す組織ではございません、とそしらぬふりをするケースがありますね。
「医療崩壊」の著者小松秀樹氏が取り上げ、私も参考にした、東武鉄道踏切事故があります。手動踏切で、その操作を誤ったために歩行者が電車に轢かれ死亡する事故がおきました。そもそも純機械式では開かずの踏切となるところ、踏切係りの裁量で踏切をあけていたというもののようです。

確かにその判断ミスが事故を招いたとは言え、そのような踏切を設置して知らんぷりしていた鉄道側は、この職員を解雇して知らんぷりの構えでした。これを小松氏が取り上げ、ヒューマンエラーについて論じておられたのでした。

さらにご指摘のもみ消し、隠蔽が行われた来た風土もあり、これを改めて事故をガラス張りにし、再発防止、予防のために何を為すか、当事者とその周りで考えて行かなくてはならない時が来ていると言えそうですね。

最後の職務における内部環境と外部環境の共通点、という命題、ちょっと難しいのですが、可能な限りヒューマンエラーの余地を減らすこと、そして二重・三重のチェックが働くシステムを構築することが大切、ということでしょうか。そしてそれを外部にも明らかにすること、そして事故は決してゼロには出来ないという認識を外部・内部ともに持つことが必要と言えるのかも知れませんね。

コメントありがとうございます。
by 筍ENT (2009-05-06 03:50) 

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