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割りばし事故~冷静な再考を~ [医療事故]

毎日新聞 割りばし事故 遺族敗訴「予見不可能」 東京地裁判決

 東京都杉並区で99年、のどに割りばしが刺さって死亡した杉野隼三(しゅんぞう)君(当時4歳)の両親が、杏林大付属病院(三鷹市)を開設する学校法人杏林学園と担当医に8960万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁は12日、請求を棄却した。加藤謙一裁判長は「割りばしが刺さったことによる脳損傷を予見することは不可能だった」と担当医の過失を否定した。両親は控訴する。

 担当医の根本英樹被告(39)は業務上過失致死罪に問われ、06年3月の東京地裁判決は無罪としたものの、適切な診察を怠った過失があると認定していた。同じ証拠に基づきながら刑事裁判と民事訴訟で判断が分かれ、両親はより厳しい結論を突き付けられた形となった。

 判決は、根本被告が適切な問診をしていればより重症であることが判明した可能性があると指摘したが、それまでに同様の症例がなかったことや病院搬送中の記録などを基に「髄液漏出や神経学的異常は認められず、当時の医療水準に照らし脳損傷の発生を診断すべき義務はない」と判断した。脳損傷の診断があった場合の救命可能性についても認めなかった。

 両親は「十分な診察を怠った」と主張して、00年の隼三君の誕生日(10月12日)に提訴。根本被告の過失に加え、チーム医療体制を構築していない不備や隼三君死後の説明の不適切さなど、病院側の対応も問題としたが、判決はいずれの主張も退けた。

 刑事裁判で1審判決は、根本被告のカルテ改ざんまで認めたが「救命可能性が極めて低かった」と判断して無罪を言い渡した。検察側が控訴し審理が続いている。【北村和巳】

 ▽東原英二・杏林大付属病院長の話 主張が認められほっとしている。改めて隼三さんのご冥福をお祈りする。

【ことば】割りばし死亡事故 東京都杉並区で99年7月10日、母らと盆踊り大会に来ていた隼三君が、綿菓子の割りばしをくわえたまま転倒。杏林大付属病院に運ばれ、担当医は5分間の診察で傷に薬を塗っただけで帰宅させ、隼三君は翌朝死亡した。司法解剖で7.6センチの割りばし片が脳に残っていたことが判明、死因は頭蓋(ずがい)内損傷群とされた。

 ◇「あまりに意外な判決 納得いかない」父親

 判決後に会見した隼三君の母文栄さん(50)は「必ず良い報告ができると約束して家を出てきたが、隼三に掛ける言葉すらない」とハンカチで涙をぬぐった。父正雄さん(56)は「あまりに意外な判決で動揺している。過失を認めた刑事裁判の証拠を無視しており納得いかない。明らかな医療ミスでないと許されるのか」と憤った。

 隼三君は「特殊なけが」と高度な設備が整った杏林大付属病院に搬送された。文栄さんは「開業医の方がするような治療もなく、警察が捜査したのに報告書もない。こうした病院のあり方に判決が言及してくれると信じていたが、残念」と語った。

 提訴から7年4カ月。事故当時は小学6年だった長兄で大学生の雄一さん(20)は、高校で教べんを取りながら死の真相を問い続ける両親の姿を見つめてきた。「父と母の苦労が否定された感じで悔しい」と話した。

 ウルトラマンが大好きだった隼三君は事故直前の七夕で、短冊に「正義の味方になって悪と戦いたい」と文栄さんに書いてもらった。文栄さんは「最後には隼三を正義の味方にしてあげたい」と話した。【北村和巳】

医療裁判に関して、その不毛さについては何度か取り上げて来ました。この事件でも、もしこの杏林大耳鼻咽喉科の医師を刑事訴追したり、ニュース記事の民事裁判でも有責とするようであれば、それは一層医療崩壊に拍車をかけるものです。

今回はそれと視点を変えて、原告=遺族の人たちと報道に、冷静さをお願いしたいと思って取り上げました。

まず原告の人にちょっと立ち止まって冷静に考えて欲しいと思います。子供を失った悲しみ・喪失感ははかりしれないものであることはわかります。しかしそれを全て救急で対応した医師への怒りのエネルギーに変えて、ぶつけているのではないですか。判決も言う通り、救命は難しかった状況でした。この医師を刑事訴追したり、民事訴訟でも有責としたところで、結局本当に心が救われるのでしょうか。
もしこの判決で、あるいは控訴審で勝訴できても、本当にそれで胸のつかえがおりるのですか。亡くなった隼三君が「正義の味方」、担当医師が滅ぼされるべき「悪玉」と裁判所が認定してくれると、それこそ隼三君が「うかばれる」と考えておられるのでしょうか。

人間が生きていくのに、あちこちに危険の落とし穴があいています。誰もがある確率でそれにはまり、不幸な運命を辿ることがあります。そして誰も糾弾することのできない状況では、最終的にその運命を受け入れて行くしかないのですが、誰かの責任を問えそうになると、当事者の糾弾にやっきとなります。交通事故などでいつも見られるパターンです。

一つだけイヤな問題を指摘します。綿菓子の割りばしをくわえて転倒、隼三君は受傷しています。保護者としてそれを注意しやめさせることができませんでしたか。
‥こういって原告を非難する人は誰もいないようです。私も積極的に非難するようなつもりは毛頭ありません。これは実の親である原告二人の保護者としての「注意義務違反」を問うような形になってしまいます。これもまた不毛でしょう。

事故やその不幸な結果は誰のせいにすべきでもありません。誰かの過失を問うべき事態でもありません。悲しい結果ではありますが、その悲しみのエネルギーを誰かの糾弾に向けるべきではありません。私はそう信じます。

そして報道も冷静な姿勢を願いたいと思っています。


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DrTakechan

私もこの事故と、訴訟について、そして、偏向した報道にやるせない思いを持つ医師です。
私は神経内科が専門ですので、もしあの事故のとき救急担当医だったとしたら、とりあえずCTだけは依頼していただろうと思っています。
しかし、CTを撮影しても、結果はほとんど変わらなかったのではないかとも考えています。
ご遺族の無念は十分に理解しているつもりですが、やはりこの訴訟には大いなる違和感を感じております。
某掲示板のようにご遺族への敵対心?を示すような言葉は浮かんできませんが、それでも、なぜ訴訟をしなければならないのか、これはどうしても理解に苦しみます。
先生と同じく、ご遺族にはどうか冷静に事故を振り返って頂きたいと切に願うばかりです。
by DrTakechan (2008-02-15 02:30) 

筍ENT

ご訪問ありがとうございます。

先生の考えられた対応のように、CT撮影を行い、割りばしの脳損傷診断がついて、入院、全身管理や、適応があって手術を行っても救命し得なかっただろうとされています。
入院、検査を行っていたらこの遺族は訴訟を起こさなかったでしょうか。治療経過を全て当たり、何か気に入らなかった点があればやはり訴訟に及んでいたのかも知れませんね。
こうした医療に対する攻撃姿勢が今医療崩壊のおおもとの原因となっているのではないでしょうか。
患者さんや家族の方には、本当にこうした時に冷静さをお願いしたいと思っています。

コメントありがとうございます。
by 筍ENT (2008-02-15 08:44) 

姫子

わりばしを持ったまま走る我が子を注意し、わりばしを取り上げなかった母親の責任です。口に出すことや子供を亡くした母親を責めることは人としてできるものではありません。でも死亡に至るのは本当に気の毒ですが親の不注意が確実に原因ということは多々あるのです。医者の対応の問題はまた別ですが母親が自分の不注意を棚に上げて裁判の表舞台で訴えていることが私は理解できません。タブーになり母親を責める方はいないでしょう。でも事実は母親が気をつけてさえいればなくなることはなかったと思います。
by 姫子 (2008-11-20 18:06) 

筍ENT

ご訪問ありがとうございます。

この記事を書いてだいぶ経ちましたが、本日二審で同様に無罪判決が出たところですね。
姫子さんのご意見ももっともですが、私は医師を糾弾しないで欲しいと願うとともに、親の不注意を責めることもあまりしたくないのです。

事故は突発的に起きます。親が呼び止めても間に合わなかったかも知れません。
不幸な事故の後、悲しみの感情を怒りに変えて誰かにぶつけようとするのは、様々な事故の後にみられます。しかし事故の結果はもはや誰にももう変えられず、事実を受け入れて行くしかないものです。
その過程で誰かを憎み、刑事罰に陥れようとすることは本当に不毛なことです。結局事故の被害者も遺族も救われません。

はっきりした過失が事故の原因と認定されたら、それを民事裁判で解決するのみとし、被害者・遺族感情はもっと違う手段でケアすべきであろうと考えています。

コメントありがとうございます。
by 筍ENT (2008-11-20 20:44) 

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