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なぜに敵討ち‥ [生活/くらし]

東京新聞 「敵取った」と祖母 祝福の“キス”約束

石井慧祖母.jpg 「みんなの敵を取った」。低迷する男子柔道の“最後のとりで”として100キロ超級の頂点に立った石井慧選手(21)。地元・大阪府茨木市のホテルでは後援会関係者ら約100人が観戦し、勝利のカウントダウンが終わると、祖母淑子さん(71)は「ようやった」と立ち上がり、涙ぐんだ。

 石井選手が子供のころ、仕事に出る両親に代わり面倒を見ていた淑子さん。両手のこぶしを握り締め、何度も大声で「行けー」と叫び、スクリーンに映る孫を応援した。

 終了後は「ここまでやるとは思っていなかった。努力が勝因です」と話し、帰国したら何をしてあげたいかとの質問には、目を閉じて口をとがらせるしぐさを見せ、“祝福のキス”を約束した。

石井慧.JPG 試合中から手拍子で応援していた地元の人たちも大喜び。小学生だった石井選手に柔道を教えたことがあるという増田不二男さん(50)は「感無量。黙々と練習する姿が印象的だった。子どもたちにも一生懸命練習することが勝利につながると教えたい」と興奮気味だった。
(共同)


今や、石井選手は総合格闘技への転身を表明し、柔道の世界から飛び出すことになり、このニュース記事もだいぶ古いものになった印象があります。
さて、この北京五輪の時のニュース記事にひっかかりました。なかなかメダルを取れなかった日本の柔道選手。石井選手の金メダル獲得は素晴らしく、家族はもとより多くの国民が喜んだことと思います。このニュース記事もその喜びを精一杯表現したもので、当然の表現と思います。

ただ一点を除いては。

どうして敵討ちなのでしょう。ニュース記事自体もですが、どうして祖母淑子さんはそういう言葉が口をついて出てしまったのでしょうか。
簡単に考えれば、石井選手以外がメダルに手が届かなかったことと、石井選手が金メダルを獲得したこととは、別の独立事象です。石井慧選手も別に誰かを憎み、誰かの仇を討つために勝負に臨んだわけではないと思います。

敵討ち蘇我.jpgここで敵討ちという表現を何の疑問も持たずに受け入れてしまう日本の国民性を思うと暗くなります。
以前より書いているように、病を憎まず最善のコースをたどらなかった医療の当事者を憎む医療訴訟。少しでも人間が絡む事故で被害を被ると、その人間に刑事罰を与えることに血眼になる刑事訴追、検察審査会。こうした動きと重なって見えてしまうのです。

さらにこの敵討ちという発想、国粋主義を盛り上げ、やがて今の権力者に「いつか来た道」を暴走させる危険も孕んでいると思います。日本に何らかの権利侵害を及ぼした国には罰を、そして叩きのめせ。こうした国民誘導で平和憲法は崩れて行くのではないかと思うと、ぞっとします。

純粋に、単純に、日本の石井慧選手が金メダルを持って帰ってきた、そういう風に喜べないのでしょうか。
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コメント 4

Quri

こんにちは。
以下は平成6年に、あるサイトに投稿した私の意見です。

もう最近というほどでもないですが、「リベンジ」という言葉の氾濫を皆さんはどうごらんになってますか。もちろん私はあまり好まない言葉なのでこのような投稿をしているわけです。たとえばスポーツでさわやかな汗を流した相手に、負けた方が再チャレンジするなら共感できますが、これを「復讐する」などと表現すると違和感以上のものがあります。
最近の裁判に関する報道のなかで、「犯罪被害者の権利」というフレーズが多くみられ、概ね肯定的に報じられています。しかし加害者の刑事裁判に参加して(傍聴ではなく)意見を言う権利、などは如何なものでしょう。日本の現行法体系は「個々の利害関係者が復讐する」を一切認めず、「司法でこれをあずかり裁く」が基本理念であると考えます。この見地からは、むしろ関係者を裁判の場からは極力遠ざけて判断し、そのかわり刑事判決とは別に理不尽な被害にあった人々を手厚く保護、支援するというのが本筋と思います。
もちろん犯罪被害者や遺族の方々の多くはその心情を「復讐」などの言葉で理解されたくない、と思われるでしょう。しかしそれを承知で法治国家のルール上では「わずかな復讐の匂い」も排除することが大切と主張するわけです。
国際紛争で武力を行使した側がほぼ決まって言うのは「相手方が最初に××した」という言葉です。振り返ってわが国でも少し前までは「敵討ちは是」でした。リベンジを好まない私の考えはやや特殊なのか、それとも一般的なのか、レスを頂ければ幸いです。

これに対してレスをくれたある方の意見の抜粋は

実際のところ「リベンジ」という言葉は「再チャレンジ」という意味で使っている場合が多いのではないでしょうか?厳密には「復讐する」かも知れませんがそこまで深く考えていないと思います。それはさておき、裁判の話が出ましたので思うところを述べます。今朝のニュースで山口県の光市だったと思いますが強姦目的で奥さんと子供さんを殺された旦那さんが報道陣を前に語っている姿を見ました。今の司法制度の矛盾点や悪慣例を的確に言っておられると感心している次第です。高裁のときも最高裁に上告する時の弁護士の怠慢の時も。僕自身は法治国家のルールに任せきれない現実を感じています。自分の子供を殺されて、そんなきれいごとで済むでしょうか?今の司法の現状では、頭では理解しますが感情としては納得できないと思います。こう書けば法治国家社会が成り立たなくなる。仇討の時代に逆戻りしてもいいのか?などと言われそうですが、そう言われてもそう思うのだから仕方ない。・・・以下略

これに対して私

レスありがとうございます。
確かにリベンジは他の外来語にもようあるように本来の意味と少し異なって日本語化しているのかもしれません。外国人が日本語のスポーツ新聞を読む時に驚く可能性以外は害はなさそうです。
この枕詞から入ったのは、もちろん光市の事件とその裁判の経緯に思うところがあったからですが、はたして貴兄の意見と私の考え方とはかなり異なるようです。ただ、法治国家と言ってもそのルールの原点は広く一般国民の倫理観や価値観にあるわけで、この”議題”は議論というよりアンケートの意味合いが強いと思います。最近の報道はどちらかというと貴兄の意見に近く、私はTVを観ながら家内を相手に愚痴ることがよくあるものですから、「世の中、どう考える人が多いのだろう?」
と投稿したわけです。

 
 以上、一部は最近に書かせてもらった私の主張の繰り返しで恐縮ですが、この方面で、私が先生のコメントに賛同するのもおわかりかと思います。よく似た考えの方がおられると何か心強いですね。

by Quri (2008-11-20 17:20) 

筍ENT

Quri先生ありがとうございます。

先生の最初に書かれた文章、大変わかりやすく、私が考えているようなことを、もっときちんとまとめて頂いた文章で感服しております。

反対意見はやはり感情論になってしまうのではないでしょうか。結局仇討ち礼賛そのものの意見に見えます。

私が業過致死罪反対を唱えた時の反論レスも「人が死んでいるんですよ。それで加害者の刑罰がないとか軽減するとか‥」等、結局論理性はあまりない感情論が多かったように記憶しています。

刑法はニュートラルで感情論を排斥して欲しいと切に願っています。

コメントありがとうございます。
by 筍ENT (2008-11-20 20:35) 

Quri

いつもながら即日のレスありがとうございます。先生のコメントをみていつも
ホットしていますが、世論の中ではやはり少数派なのでしょうかねえ。ところで今ひどい誤りに気づきました。平成6年ではなく2006年でした。失礼しました。
by Quri (2008-11-21 08:41) 

筍ENT

たびたびご訪問ありがとうございます。

Quri先生と大筋で同じ方向を向いているように考えております。私も心強く思っています。それでも少数派なのでしょうか。
そうだとしたら多数派はきわめて感情的に浪花節に流されている人、という気がしてしまいます。

年号は承知しました。わざわざ訂正ありがとうございます。

またよろしくお願い致します。コメントありがとうございます。
by 筍ENT (2008-11-21 09:48) 

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