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浪花節刑事裁判花盛り [医療事故]

時事通信 社長ら10人、週明け書類送検へ=捜査結果、遺族らに事前説明-福知山線脱線事故

福知山事前説明.jpg 乗客106人が犠牲になった福知山線脱線事故で、兵庫県警は5日、山崎正夫社長(65)らJR西日本幹部や死亡した高見隆二郎運転士=当時(23)=ら計10人について、業務上過失致死傷容疑で週明けに書類送検する方針を固め、遺族宅を訪れて事前説明を始めた。実際の処理前に捜査結果を伝える異例の措置で、被害者の強い要望に応えた。国鉄民営化後、最悪の事故の捜査は発生から3年4カ月を経て、新たな局面を迎える。送検後、神戸地検が起訴の可否を判断する。
 調べによると、山崎社長らは1996年、福知山線の現場カーブの半径を600メートルから304メートルに変更する工事を実施した際、自動列車停止装置(ATS)の設置など必要な対策を取らずに放置するなどした疑い。2005年4月25日、塚口―尼崎間で、制限速度を大幅に超過した7両編成の上り快速電車が脱線し、先頭車両が線路脇のマンションに突っ込むなどし、運転士を含め107人が死亡、562人が負傷した。山崎社長は96年当時、鉄道本部長としてJR西の安全対策責任者だった。


9月上旬のニュース記事です。
事故の真実が知りたいという遺族や被害者の要望に応じて、刑事立件手続中の警察が捜査結果を伝えたというニュースです。

福知山事故1.jpg刑事事件というと、全てが捜査上の機密とされ、被害者も知ることが出来なかった。画期的ではないか、警察の今回の措置は評価できる。多くのマスコミの論調と、ニュースの受け取り手は、きっとこのように好意的に捉え評価するものと思われます。

しかし、私は大いに危惧を感じます。本事件のように過失を刑事で裁こうとする事件-以前からそれは不毛だと主張して来ましたが、それはさておいても-、そして故意犯による殺人や傷害事件であっても、警察のこうした行為には不安を感じます。

それはなぜか。検察が仕組む刑事裁判は、非常に後進的な、お涙頂戴・浪花節の、応報主義、結果重視主義に貫かれたものだからです。

2006年8月に福岡市でおきた、飲酒運転の車に追突された車が海中に転落し、3児が死亡した事故の刑事裁判で、検察側は遺族から死亡した子供たちの写真を借り出し、法廷に持ち込みました。ニュース記事では「何も分からぬままに突然、命を奪われた理不尽さと無念さを訴えている」と書かれています。

しかし、特に過失を裁く裁判では、これは全く間違った考え方です。この飲酒運転をしたドライバーが、どの程度飲酒していたか、運転がどこまで危険なものであったか、それが刑を決める全てであり、被害にあった子供たちがどんなにかわいかったか、両親がどんなに悲しんだか、それは民事の法廷で取り上げられるべき事項です。

昨今の裁判はこうした刑事・民事を敢えて混合させようとしてみたり、はっきり結果重視の方向を打ち出したり、「遺族感情に配慮して」などと言うセリフで、応報主義(仇討ち)を量刑に反映させようとしたりしています。

福知山事故2.jpgJR西日本の事故に戻ります。何でも一人ひとりJR西日本の人間を糾弾しては刑罰を与えようとするやり方は、以前から繰り返し書いて来たように、真の原因解明や再発防止には、全く資するところがありません。
しかし百歩譲って、彼らを業過致死傷罪で裁こうと言う時に、その過失そのものを詳細に検討するのではなく、予め警察が遺族や被害者に接触し、被告人に対する憎しみの感情を植え付け、以て裁判上重い量刑にシフトさせようとしている意図がみえみえです。

警察や検察が、浪花節に乗って、こんな誤った刑事裁判運営を図ろうとするのは決して許せません。故意犯罪であっても許されないと思いますが、増して過失を糾弾する裁判でのこうしたやり方については、私はむしろ警察・検察に憤りを覚えます。

福島県立大野病院の事故の刑事裁判でも全く同じ構図が見られたとされています。警察は遺族に、主治医に対する誤った憎しみの感情を植え付けようとしていたと言われています。

どうして日本の裁判はこんなに立ち後れているのでしょうか。
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