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刑事裁判と被害者・遺族感情 [生活/くらし]

時事通信 「娘と同じ思いを」=女性拉致殺害、母極刑訴える-25日初公判・名古屋地裁

磯谷利恵.jpg 「娘と同じ思いをさせたい」。名古屋市千種区で昨年8月、会社員磯谷利恵さん=当時(31)=が拉致された上、殺害された事件で、強盗殺人などの罪に問われた元新聞販売員神田司被告(37)ら3人の初公判が25日、名古屋地裁(近藤宏子裁判長)で開かれる。利恵さんの母富美子さん(57)は、初公判を前に取材に応じ「何の落ち度もない娘が味わった苦しみを考えると、極刑は当然。同様の苦しみを与えた上で刑を執行してほしい」と目頭を押さえた。


以前にもこの事件は取り上げました。許し難い犯罪であり、この母親の訴えの通り、その無念さ、悔しさ、悲しさは想像を絶するものがあります。愛すべき自分の子供の生命をこんな形で失うのは耐え難いのは当たり前です。
きっと私も同じような気持ちを持つことでしょう。そして同じような行動を起こそうとするかも知れません。

磯谷利恵2.jpgでも、幸か不幸かこの記事を読んでいるのは第三者としての立場です。冷静に検討することができると考えます。

やはり刑法は応報主義であってはならないと思います。遺族がどんな悲しみと苦しみの状態にいるか、そして犯人の量刑についてどのように声をあげているか、それが量刑に影響を及ぼしてはならないと思うのです。
犯人=被告人たちは、その為した罪によって厳正に裁かれるべきです。何ら落ち度のない被害者から金品を奪う目的で生命を奪うという犯罪を為しました。これを法律や過去の判例に基づいて裁くべきです。

なぜか。もし被害者がたまたま身寄りのない人で、こうして極刑をと声を上げる遺族がいなかったら量刑は軽くなってしまうのでしょうか。それは間違っているでしょう。

さらに、以前に取り上げました。毎日新聞が被害者の趣味、つきあっていた男性、食べ物の嗜好まで子細に取り上げた記事を書いていました。私はその「下らない」記事をこきおろしました。せいぜい下世話なワイドショーや週刊誌が取り上げるのならまだしも、新聞紙面が取り上げるべき事項と違うだろうと考えました。男性と交際していなかったら、優れた趣味を持っていなかったら、グルメでなかったら犯人は減刑されるのでしょうか。

犯罪は公正に裁かれなければなりません。判決にマスコミがあおり立てた国民の声“もどき”、そして被害者感情が影響を与えてはならないと考えます。この点において、裁判員制度や、被害者・遺族が刑事裁判に参加するシステムは危険を孕みます。

念のためもう一度書きますが、もし私が被害者や遺族の立場に立たされたらこんなことは書いていないでしょう。包丁を忍ばせて法廷に行こうと思うかも知れません。遺族感情そのものに何ら異を唱えているのではありません。
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コメント 4

Quri

お久しぶりです。
本日の記事に全く同感ですね。遺族感情を理解し是とする事、であるからこそかえって社会としては応報や復讐から距離を置いて公正公平を守るべきである事、この観点から現在の報道のあり方や裁判員制度の施行方法に危険を感じる事、何の異論もありません。
毎日論評を書かれていることに感心と尊敬をもって読ませてもらっております。「意見を発信することが一石を投じることになる」と信念を持っていないと続かない事だと思いますね。来年も楽しみにしています。

by Quri (2008-12-30 19:38) 

筍ENT

Quri先生、ご訪問ありがとうございます

毎日駄文を書き散らしていると、時々間違いを書いたり、矛盾を指摘されたりしております。
おつきあい頂いてありがとうございます。

こちらこそよろしくお願い致します。
by 筍ENT (2008-12-30 21:33) 

とめ

ご意見に賛同します。
すいません。間違ってたら申し訳ないのですが、
毎日新聞でなく、読売新聞ではないでしょうか。
読売新聞では、被害者人となりの記事をみたのですが・・。毎日新聞にもあったのなら失礼しました。

被害者より加害者を知ることのほうが今後の犯罪抑止につながると私は思うし、被害者がどうであるかを
加害者の刑に反映させてはいけないように思います。魅力的な人であろうと、そうでなかろうがその罪は同じであってほしいです。

おっしゃるように、
ワイドショー受けするような事件と、ワイドショー受けしないような事件とで世論によって量刑に差がつくのなら公平性を欠くと思います。身寄りがない人や、テレビ受けしない魅力ない人を殺したほうが得とするような世の中にはなってほしくないです。

また加害者にも死刑にされたら、悲しむ何の罪もない
(親は違うかもしれませんが)家族がいるのは同じだと思います。
被害者遺族だったら、死刑を望むかもしれませんが、
もし自分が神田被告と同じ成育環境、こども時代をすごしてたら、自分も犯罪者になってたかもしれないし、自分の家族だったら、殺人者であっても、死刑が妥当とはいえないかもしれないと思うので、第3者はあくまでも第3者であり、被害者の遺族感情とは区別して考えるべきなのではないだろうかと私は思います。
by とめ (2009-03-19 19:41) 

筍ENT

ご訪問ありがとうございます。

私がたまたま見つけた記事は毎日新聞でした。実際に記事を取り上げましたので、よろしかったらご覧下さい↓
http://takenoko-ent.blog.so-net.ne.jp/2007-08-28-1
読売新聞も同様の記事を載せていたのでしょうか。そうだとしたらどちらの新聞社も情けない限りです。

とめさんのご指摘の通りで、被害者よりも加害者の背景を探ることが犯罪の分析、防止に資するところが遙かに大きいと考えます。あまりにそうしたことがなされていませんね。

そしてもし自分がその加害者と同じ成育環境にあったら、という想像力、今の日本人・マスコミに完全に欠如した発想であると思います。

貴重な視点のコメントありがとうございます。
by 筍ENT (2009-03-20 01:17) 

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