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刑事罰が誰を幸福にするか [車/バイク]

東京新聞 運転のコーチ無罪主張 外環道・児童転落死事故 初公判で『予見できず』 /埼玉

外環道1.jpg 東京都練馬区の東京外環道で昨年十二月、走行中のマイクロバスから転落したふじみ野市の小学五年吉崎健君=当時(11)=が後続車にひかれ、死亡した事故で、バスを運転中に注意義務を怠ったとして、自動車運転過失致死罪に問われた川越市今福、会社員引地功一(よしかず)被告(34)の初公判が三日、さいたま地裁(田村真裁判長)であり、引地被告は「事故は予見できなかった」として無罪を主張した。

 検察側は「引地被告はバスのドアが開かないようにしたり、子どもの動きに注意する義務を怠った」と主張。弁護側は「事故はさまざまな偶然が重なって起きた」などとした。

 検察側冒頭陳述によると、引地被告は昨年十二月二十四日、コーチを務めるサッカークラブの児童二十四人をバスに乗せて運転した際、乗降口のドアをロックせず、ドアレバーで開閉できる状態にしておいた。このため、吉崎君がボールに座ってドアにもたれ掛かったところ、レバーに触れるなどしてドアが開き転落した。

外環道2.jpg 吉崎君の父親(43)は閉廷後、「(無罪主張に)憤りを感じる」と述べ、「(子どもの引率者は)念には念をおすぐらいでいい。二度と同じような事故がないことを願っている」と訴えた。


このようなケースはもう何度も取り上げて来ました。バスを運転していたこのコーチに対して何とか有罪に仕立てようとするエネルギー、本当にムダだと思います。

同様事故の再発防止には何を為したら良いか、については当然裁判では論じられることもなく、ひたすら法廷では事故の予見可能性と回避義務違反が議論されるのでしょう。

被害児童の父親は「‥二度と同じような事故がないことを願っている」と発言していますが、それと、このコーチを有罪に仕立てることの間には何の関係もありません。客観的な事故調査と、バスのドアについてのシステムが論じられることの方が大切です。
例えば、今後の同様マイクロバスにおいては、一定の速度を超えたらドアは相当の手続きをしないと開かないようなシステムを作ってしまう、ドアに寄りかかる力がかかったら警告音を発する、など、素人の私でも思いつきそうな安全装備はいくらでもありそうです。

外環道3.jpg本当に同様の事故の再発防止を願うのなら、こうした発案をもとに、国交省やバス車両の製造会社に働きかける、と言ったエネルギーの使い方があるはずです。

このコーチを有罪に仕立てることで遺族が得るのは一時的に溜飲を下げるということだけです。最終的には誰も幸福にしません。
ここで業/運過致死傷罪の廃止を訴えるのはやめておきますが、ドライバーを責め刑を科そうとすることは結局何にも資することがないことを改めて主張したいと思います。

そして被害者参加制度が始まったら裁判では、検察の隣で、遺族が声高に重い刑罰を訴える姿が見られることになります。過失における「加害」者-遺族をわざと対立させ、浪花節判決を引き出そうとする検察を有利にしようとする一手段に過ぎないと思えてなりません。
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Quri

 昨日、今日と記事にされている事の根底には同じ考え方がありますね。応報主義に流れてゆく風潮をなんとも悲しく思います。

話は変わりますが、冷戦の時代が終わってからも地球上では戦争、紛争の絶えることがありません。そのたびに報じられる当事者のコメントは決まって「先に相手が攻撃してきたので正当に反撃した」というものです。すなわち争いの元になる当初の原因はあっても、その後は報復に対する報復が果てしなく繰り返されるというパターンです。私はここに着目した外交政策を日本政府に提案したいのです。現在は空前の世界不況にあえいでいるものの日本の経済はまだまだ存在感があります。ODAの額ひとつをとっても年間7000億円程度、今でこそランクを落としていますが数年前までは世界No1の規模でした。
 世界に対する援助の中心に教育事業を据えるのです。教育システムの提案、教員の人材育成にはじまり学校などのインフラ、教材の経費などを総合的に援助し、「教育の日本」という地位を築くのです。そして宗教や民族の伝統など教育の内容に関しては決して介入しないが、唯一「復讐をしない人間を育てる教育」を条件にします。個人のケンカから戦争に至るまで、「当事者が仕返しをすることは悪である!」と教育して欲しいのです。その場の感情で行動せず、問題解決は多くの第3者の知恵に任せる事、これが知的生命体を自負する人類にとって共通の大切なテーマであると教育するのです。
 援助資金で役にも立たない道路や橋を作って、多額の献金をしてくれた日本のゼネコンに仕事を廻し、その結果ODAを国内に回収しようなどというセコイ考えは捨てて欲しいものです。外交のシーンで世界に誇る平和憲法を持っているなどと主張しても実際面がともなわなければ「何の」ツッパリにもなりません(会話中では「」内に別の言葉が入ります)。しかし、もしこのプロジェクトが成功して、その国の親子孫の3世代にこの復讐をしない価値観が定着すればその国に関連する紛争は、ものの60年で激減する結果まで望めると思うのですがいかがでしょう。

以前に書き込ませてもらった、復讐に関する腹案を書いて見ました。戦争や紛争が絶えない事以外にも、およそ世の中には「大きな問題ではあるが解決法がない」というテーマがたくさんあります。実現性がどうこうより、多くの人が「この問題にこの方法はどうだろう?」と発信する事が世界中に広がって行くと案外おもしろい流れが期待できるかもしれません。個々の案が実際に役に立つかどうかはともかく、多くの人が共通の問題意識を持つ、その事に流れを良くする原動力がありそうな気がするのです。
 私がいつも「それは無理でしょう」とする先生の某案も、もしかするとその意味も含め発信されているのかも知れませんね。

by Quri (2009-03-19 16:24) 

筍ENT

ご訪問ありがとうございます。

「復讐をしない人間を育てる教育」を世界で実践させることができたら素晴らしいですね。本当にそう考える人間が増えて、個人レベルでも国家レベルでも不毛な争いの連鎖を止めることができたら、理想社会に近づけるように思います。

先生に指摘されて考えてしまいました。私は色々な記事を捉まえて批判はしていても、何を以て理想社会と考えるか、明確にまだ描けないでいます。ただ、例えば応報主義を刑法から排除しよう、とか、個別の問題点を取り上げようとはしていますが、そのための、そしてその先の道筋を示すには至っていません。

もっと考察が必要でしょうね。
コメントありがとうございます。
by 筍ENT (2009-03-20 01:09) 

連続婦女暴行魔 中島大士

愛媛県今治市波止浜169在住の中島大士(なかしまたいし)は暴走族今治連合に所属する暴走族です。
彼らは少女を車で拉致して暴行を加えては、写真を撮り、自分たちには関東連合がバックについていると言って脅します。
そして、被害者の周囲で執拗に暴走を繰り返し、恐怖を与えて口封じをし、再び暴行に現れます。
今治連合の暴走族中島大士に気を付けて下さい。

by 連続婦女暴行魔 中島大士 (2015-12-24 03:41) 

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