被害者参加制度は行き過ぎだ [生活/くらし]
毎日新聞 <刑事裁判被害者参加>光市の本村さん「権利実現の世代へ」
犯罪被害者週間(11月25日~)最終日の1日、内閣府が東京都内で集会を開き、99年に起きた山口県光市の母子殺害事件で妻子を奪われた本村洋さん(32)が講演した。本村さんはこの日施行された刑事裁判の被害者参加制度に触れ、「事件からたった9年で、求めたことが法整備された。今日から被害者の権利実現の世代へ移った」と評価した。
被告に無期懲役が言い渡された1審当時、法廷に遺族用の傍聴席はなく、本村さんは遺影の持ち込みも拒否された。「明らかにうそだと思う被告の言葉にも意見が言えず、望んだ死刑判決も出ない。敵は司法だと思った」と振り返った。
その後、被害者の意見陳述や傍聴席の優先確保が認められるようになり、「被害者が声を上げ、社会が耳を傾けるようになった」と強調。被害者参加制度の実現について「妻が残した最期の言葉を被告に聞けるかもしれない。被告の暴言に謝罪を求められるかもしれない。これからは法廷が真実を確認できる場になる」と語った。【石川淳一】
今まで刑事裁判の推移について情報も得られず、蚊帳の外に置かれていた被害者・遺族に取っては願ってもいない制度なのでしょう。検察と一緒になって尋問もできる、求刑までできてしまう。
私は反対です。決して公正な裁判など望むべくもありません。被害者や遺族は怒りの頂点にいます。被告人に対する直接尋問はそれ自体最大の非難となるでしょう。被告人は言いたいことがあっても言えなくなる可能性が高いと考えます。例えば正当防衛を主張しようと思っていた被告人も思わず口をつぐんでしまうかも知れません。
また被害者・遺族は考え得るもっとも重い量刑を求刑しようとするでしょう。
以前から書いて来たように、法廷に応報主義(仇討ち)をそのまま持ち込むのがこの被害者参加制度です。確かに今までの被害者・遺族に対する配慮がなかったのは事実ですが、それは法の不備や検察の怠慢だったはずです。今度はこうした応報主義を法廷に持ち込んで少しでも重い量刑を取ろうとする検察の思惑と一致してか、多くの議論を経ぬまま、この制度が強行されてしまっている印象があります。
現に日弁連会長もこの制度の導入に危惧を表明しています。
さらに私が恐れるのは、業/運過致死傷罪の法廷にまでこれが持ち込まれてしまうこと。もはや冷静な裁判など望むべくもありません。事故の分析と、予見可能性、回避義務違反の存否などが冷静に論じられなければならない法廷で、被害者・遺族が「私(家族)はこんなひどい目にあったんですよ!不注意なあなたが悪いに決まっているじゃないですか!」と発言、被告人はやはり発言を封じられてしまう可能性があります。
幸いにして業過致死傷罪の事案については、被害者参加制度はともかく、裁判員制度は適用されないと聞きました。ここで被害者や家族の発言を引き継いでお涙頂戴、浪花節の判決が導き出されてしまったらたまったものではありません。
いずれにせよ被害者参加制度は行き過ぎです。出された判決をきちんと分析し、制度の存続を見直して行くべきと考えます。
犯罪被害者週間(11月25日~)最終日の1日、内閣府が東京都内で集会を開き、99年に起きた山口県光市の母子殺害事件で妻子を奪われた本村洋さん(32)が講演した。本村さんはこの日施行された刑事裁判の被害者参加制度に触れ、「事件からたった9年で、求めたことが法整備された。今日から被害者の権利実現の世代へ移った」と評価した。
被告に無期懲役が言い渡された1審当時、法廷に遺族用の傍聴席はなく、本村さんは遺影の持ち込みも拒否された。「明らかにうそだと思う被告の言葉にも意見が言えず、望んだ死刑判決も出ない。敵は司法だと思った」と振り返った。
その後、被害者の意見陳述や傍聴席の優先確保が認められるようになり、「被害者が声を上げ、社会が耳を傾けるようになった」と強調。被害者参加制度の実現について「妻が残した最期の言葉を被告に聞けるかもしれない。被告の暴言に謝罪を求められるかもしれない。これからは法廷が真実を確認できる場になる」と語った。【石川淳一】
今まで刑事裁判の推移について情報も得られず、蚊帳の外に置かれていた被害者・遺族に取っては願ってもいない制度なのでしょう。検察と一緒になって尋問もできる、求刑までできてしまう。
私は反対です。決して公正な裁判など望むべくもありません。被害者や遺族は怒りの頂点にいます。被告人に対する直接尋問はそれ自体最大の非難となるでしょう。被告人は言いたいことがあっても言えなくなる可能性が高いと考えます。例えば正当防衛を主張しようと思っていた被告人も思わず口をつぐんでしまうかも知れません。
また被害者・遺族は考え得るもっとも重い量刑を求刑しようとするでしょう。
以前から書いて来たように、法廷に応報主義(仇討ち)をそのまま持ち込むのがこの被害者参加制度です。確かに今までの被害者・遺族に対する配慮がなかったのは事実ですが、それは法の不備や検察の怠慢だったはずです。今度はこうした応報主義を法廷に持ち込んで少しでも重い量刑を取ろうとする検察の思惑と一致してか、多くの議論を経ぬまま、この制度が強行されてしまっている印象があります。
現に日弁連会長もこの制度の導入に危惧を表明しています。
さらに私が恐れるのは、業/運過致死傷罪の法廷にまでこれが持ち込まれてしまうこと。もはや冷静な裁判など望むべくもありません。事故の分析と、予見可能性、回避義務違反の存否などが冷静に論じられなければならない法廷で、被害者・遺族が「私(家族)はこんなひどい目にあったんですよ!不注意なあなたが悪いに決まっているじゃないですか!」と発言、被告人はやはり発言を封じられてしまう可能性があります。
幸いにして業過致死傷罪の事案については、被害者参加制度はともかく、裁判員制度は適用されないと聞きました。ここで被害者や家族の発言を引き継いでお涙頂戴、浪花節の判決が導き出されてしまったらたまったものではありません。
いずれにせよ被害者参加制度は行き過ぎです。出された判決をきちんと分析し、制度の存続を見直して行くべきと考えます。
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