ショスタコーヴィチと井上道義 [音楽/読書]
asahi.com 井上道義、ショスタコービチ全15曲演奏に挑む
ショスタコービチの15の交響曲すべてを8日がかりで演奏するプロジェクトに指揮者の井上道義が挑む。東京フィルハーモニー交響楽団など五つのオーケストラを振る。
井上はショスタコービチを「異常なまでに難解というイメージを持たれている」と評する。彼が生きた社会主義の時代を、過剰に音楽に関連づけて語る風潮にあるからだという。「風刺や反骨の精神の持ち主だったが、それ以上に自らの音楽のなかに遊ぶ天才だったのだと僕は思う」
ショスタコービチの譜面には、同時代の作曲家たちとは異なり、フォルテやクレッシェンドといった演奏への指示が極めて少ない。「モーツァルトなどの古典派音楽と同じ気持ちで向き合い直している」
会場に選んだのは日比谷公会堂。ショスタコービチの交響曲のうち7曲はここで日本初演された。「日本のクラシックのルーツ。渋い建物の感触は、飾りのない彼の音楽にぴったり」
3千円。公演は3、4、10、11、18日、12月1、5、9日。11月25日には東京アカデミッシェカペレの参加公演も。カジモト・イープラス(0570・06・9960)。
11月のニュース記事です。音楽は楽譜に書かれ作曲家の手を離れたら、演奏者のものだという考え方もあります。演奏する時に楽譜に書かれたことだけから音楽を作り出す考え方と、ショスタコーヴィチならその曲の書かれた時の政治や生活環境をも考えてタクトを振るというアプローチもあるでしょう。
例えば、ショスタコーヴィチの交響曲の中で最もポピュラーと言える第5番の終楽章は「強制された歓喜」である、という説が強くなっています。どうしてもスターリン体制が曲に重なってしまうのでしょう。
この楽章はニ短調で始まります。最後にはニ長調となり、Dのユニゾンで曲は終わります。
色々なアプローチはあって良いと思いますが、楽譜に示された和音進行から、ベートーヴェンの第5番フィナーレと同じような曲作りをしようと思う指揮者もあまりいないと思います。さりとて、最後のDのユニゾンは実はニ短調に戻ったのだ、と無理矢理考えて演奏しようとしても、それは難しそうです。
作曲者が楽譜の上に残したもののみから音楽を作っても良いのではないでしょうか。ある程度のテンポとpやfの指示の範囲で、もっと抽象的な、言葉で説明できないような音楽を作り上げるという姿勢であって良いと思います。
演奏が作曲の背景等の言葉ですべて解説されてしまうようなものであっては、芸術性が高いとは言えないと考えています。
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