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裁判員制度 [生活/くらし]

河北新報 状況証拠だけで有罪 裁判員模擬裁判 裁判官合議とねじれ

仙台地裁模擬裁判.jpg 目撃証言や物証など有力な証拠がなく、被告側が無罪を主張している傷害致死事件を市民が審理する裁判員模擬裁判が25日から3日間、仙台地裁であり、6人の裁判員と3人の裁判官は27日、有罪と判断し、懲役5年(求刑懲役8年)の判決を言い渡した。

 事件は、居酒屋で知人男性と酒を飲んだ男が男性の腹を踏みつけ、内臓破裂で死亡させた―との設定。男は「記憶にない」と否認しており、男から「やったかもしれない」と明かされ口止めも頼まれたとする同僚の証言など、検察側が示した間接(状況)証拠への評価が焦点となった。

 同日の評議では、裁判員から「踏みつけた証拠がない」「別の人物が暴行したかもしれない」などの意見も出たが、同僚の証言には信用性があり、第三者が関与した可能性も低いと判断した。評決の結果は有罪が6人、無罪が3人で、無罪のうち2人は裁判官。現行の3人の裁判官による合議では無罪となるため、判決に「ねじれ」が生じた。

 終了後、裁判員を務めた宮城県大河原町の会社員佐藤洋さん(44)は「評議までは無罪と考えていたが、ほかの人の意見を聞き被告の犯行とみて問題ないと判断した」と説明。鎌田健司主任弁護人は「評議の雰囲気が裁判員らの有罪のイメージを膨らませた感がある。証拠に基づいて認定してほしかった」と語った。

 無罪の意見だった裁判長の卯木誠判事は「模擬裁判で時間の制約があった。本番では、もっと長い議論をすると思う」と話した。

◎常識と認定水準の均衡課題

 間接(状況)証拠に対する裁判員らの判断が焦点となった仙台地裁の裁判員模擬裁判(25―27日)は、裁判官と裁判員で有罪・無罪の判断が割れ、「市民の常識に照らした判断」と有罪認定水準とのバランスが課題であることを示した。

 最高裁によると、今回の模擬裁判で取り上げた架空の傷害致死事件はこれまで、仙台を含め全国17地裁で計20回の審理を実施している。証拠の取捨選択や立証方法が異なるため単純比較はできないが、判決は有罪と無罪が各10回と判断が分かれている。

 刑事裁判は「疑わしきは被告の利益に」が原則で、有罪認定には「合理的な疑いを差し挟まない程度」の立証が必要とされる。裁判官が繰り返し原則を強調し、裁判員らも理解した上で出した評決は、疑わしさや立証の程度について、裁判官と異なる判断に至った。

 検察側にとって、間接証拠のみで動機も不明なまま有罪認定されたことは、本番の裁判員裁判での立証水準や事件処理の判断基準を考える上で「収穫」といえる。

 一方、弁護側も冒頭陳述や最終弁論で詳細に指摘した検察側証拠と立証の不十分さが評議の中心議題の一つとなった点で、検察側に厳しい挙証・立証責任が課されていることをあらためて浮き彫りにした。


仙台地裁.jpg裁判員制度については、自らの仕事を休まなければならないとか、どういう時に拒否できるのか、などの問題ばかりがクローズアップされ、裁判そのものに与えるこの制度の影響があまり検討されていないように思います。

「市民の常識に照らした判断」を法廷に、というコンセプトで始められたようですが、私が危惧するとおり、市民の常識というのが、かなり怪しくなっています。具体的に言えば、刑法がすっかり応報主義に立脚したものであると捉えられ、被害者・遺族の裁判参加と相俟って、浪花節判決が誘導され、被告人により重い量刑が科される風潮が出てきているように思います。

裁判官に常識がないと言われます。しかし判決を下すために依拠すべきは、あくまでも法であり、被害者・遺族感情や、犯行に対するイメージなどではありません。

またたとえば記事中にあるように「疑わしきは被告の利益に」という原則までどこかに吹っ飛んでしまいそうです。そもそも裁判員には、自分が被害者・遺族だったら、という想像力は豊富にあっても、もし自分が被告人だったら、という想像は殆ど働いていないと思われます。本当に冤罪の可能性はないのか、遺族の顔をみて、すっかり感情移入し、一緒になって被告人を憎んでいないか。大いに考え直して欲しいと思います。

私は裁判員制度に反対です。
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