SSブログ

過失を裁くということ~誠意が被害者に通じている時 [生活/くらし]

産経新聞 「気落ちしないで…」 死亡事故の遺族に励まされた被告の涙

 自動車教習所の学科授業で、交通事故防止の啓発ビデオを見たことがある。

 免許を取り立ての若い男性が死亡事故を起こしてしまい、被害者やその関係者だけでなく、男性自身の人生も大きく狂ってしまうという内容だった。

 そのときは、演技がわざとらしく感じて真剣に見ることができなかったが、11日に傍聴した男性被告(61)の裁判では、思わず被告に感情移入してしまった。

配送用トラック.jpg 宅配便の配送用トラックで交差点を右折しようとした際、安全確認を怠り、歩行中の女性をはねて死亡させたとして、自動車運転過失致死の罪に問われた被告の初公判が11日、東京地裁で開かれた。

 初老の被告は喪服姿で、うつむいたまま入廷した。被告人席に腰を下ろしてからも、決して顔を上げることはなく、どこかおびえたような表情で、ずっと下を向いていた。

 検察側の冒頭陳述などによると、昭和59年から配送ドライバーの仕事をしていたという被告は11月7日、配送用のトラックで東京都品川区内の交差点で、買い物に行くために横断歩道を渡っていた女性(63)に衝突した。女性は脳挫傷のため、2日後に死亡したという。罪状認否で被告は、「間違いありません」と罪を認めた後、「申し訳ありません」と、深々と頭を下げた。

 情状証人として証言台に立ったのは、被告の上司だった。自分のために出廷してくれた上司に申し訳ないと思ったのか、被告はうつむいたまま、軽く頭を下げた。

 弁護人「お見舞いには、行きましたか?」

 証人「はい。2回行きました」

 弁護人「お葬式には?」

 証人「行きました」

 弁護人「ご遺族に何かお支払いは?」

 証人「(保険金の支払い以外に)告別式やお葬式の準備金として、100万円お支払いしました」

 弁護人「他には何かしましたか?」

 証人「月命日に、事故現場に献花させていただいております」

 弁護人「示談が成立しているようですが、どなたが担当したのですか?」

 証人「私が担当しました。被告も同席しました」

 弁護人「被害者の家に、検事から何度か連絡が来ているということでしたが」

 証人「はい。ご次男によると、『(被告に対し)こんな柔らかい姿勢でいいのか』と、繰り返し電話があったとのことでした」

 配送会社側の対応に誠意がみられたこともあり、被告側と遺族との関係は、おおむね良好であるようだった。それは、この後の被告の発言からも、感じ取ることができた。

 弁護人「ご遺族には何と言われましたか?」

 被告「逆に励まされて、『気落ちしないように』と言われました…」

 弁護人「ご遺族には、今どういう気持ちですか?」

 被告「本当に、申し訳ない気持ちでいっぱいです」

 弁護人「今、免許は?」

 被告「取り上げられました」

 弁護人「仕事はどうなりました?」

 被告「今は、会社内での作業をしています」

 弁護人「今後、運転はどうしますか?」

 被告「もう絶対にしません」

 続いて、検察官による被告人質問が始まった。検察官の厳しい追及に、被告は次第と涙声になっていった。

 検察官「今回、なぜ基本的な確認ができなかったんですか?」

 被告「色々な心配がありまして…。60歳で定年を迎え、今後の仕事のこととか…。近しい親戚(しんせき)が病気で、あと数日の命といわれ…。気がそれてしまいました…」

 安全確認がおろそかになった理由を問われると、被告は大きく肩を震わせて泣き始めた。眼鏡を外し、あふれる涙を手でぬぐう被告の姿に、傍聴席の端で背中を丸めて座っていた被告の妻も、涙をこらえきれない様子だった。

 検察官「18年、無事故ということで、油断していたということは?」

 被告「いや…、それはないと思います」

 検察官「被害者、いくつだったか知ってますか?」

 被告「はい…。63歳…」

 検察官「あなたとそんなに変わらないですよね? 今、いくつでしたっけ?」

 被告「…。61です」

 検察官「あなた、これからもまだ働きたいですよね? 同じような年の人に、このような事故を起こしたことを、どう思いますか?」

 被告「…。本当に申し訳ないと思っています」

 何度も頭を下げる被告に、裁判官は優しい口調で語りかけた。

 裁判官「この先のことについて、どうしようか、考えはあるの?」

 被告「これからも、お見舞いをしようと…」

 裁判官「なお誠意を尽くしていきたい?」

 被告「はい…」

 罪を犯した人に、感情移入する必要は全くないのかもしれない。しかも、結果責任は重大だ。だが、普段から車を運転する機会がある者として、自分が交通事故を起こす可能性を完全には否定できないだけに、「一歩間違えれば、自分があの被告になるかもしれない」と考えると、身の引き締まるような思いがした。

 検察側は、禁固1年6カ月を求刑。判決は、18日に言い渡される。(徐暎喜)


法廷.jpg時に大いに疑問を持つこともある産経新聞の記事にしては、まともな作りであるという印象を持ちました。
過失で人の命を奪ってしまった時に、爾後どのように対応すべきか、どのように解決すべきかを考えるヒントが色々含まれているように思います。

まずこれは刑事裁判です。かねてから私がその存在に反対を訴えている運/業過致死傷罪ではありますが、現行法に定められている以上はこの法で裁かれるのはやむを得ません。

そしてその量刑が決められる時に、被害者や遺族の感情がそれを左右してはならないということも繰り返し主張して来ました。被告人が為した過失そのものを客観的にとらえるべきであり、民事上示談が成立しているとかいないとか、被害者や遺族が厳罰を望んでいるとか、そうした状況が判決を左右してはならないと書いて来ました。
この点から被害者・遺族の刑事裁判参加制度には反対を唱えています。

この記事においては逆のパターンが示されているようです。誠意を見せた被告人に対し、遺族が理解・同情を示しています。
心から謝罪し誠意を見せれば、それが遺族の心を一番救うということをよく現しています。おそらくこの遺族はこの被告人の刑事罰を強く望んではいないであろうことが予想されます。

しかし運/業過致死傷罪が存在する以上、被告人は被害者の死亡という結果を最大の理由に、禁固刑実刑を言い渡されることになるでしょう。被告人が何ヶ月か何年か刑務所に入ったところで、もう誰かが癒される訳でもなく社会に何か役立つことがある訳でもありません。

そしてまた刑法が応報主義に基づくものでない以上、裁判官は本来この被告人の量刑を軽くしてはならないということになります。

このように考えて来ると、過失を罰する刑法はいったい何のためにあるのかと改めて考えてしまいます。そもそもが矛盾を孕んだ法ではないのかと。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

応報主義促進報道事故と無謬警察 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。