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産経新聞の「玄」さんへ~応報主義促進はおやめください [医療事故]

産経新聞 【Re:社会部】頂いた2枚の写真

クライマーズハイ.jpg 事件や事故で亡くなった方の顔写真を入手することは最も辛い仕事です。遺族の心の傷に塩を塗るような気になります。小説「クライマーズハイ」でご存じの方も多いと思います。

 栃木にいたころ、2歳の男の子が中学校のプールに落ちて亡くなりました。現場に行ってみると、藻でびっしりのプールの底が1カ所白くなっています。警察官が「坊や、びっくりして足でもがいたんだね」と教えてくれました。

 自宅にうかがいました。和室に坊やの遺体が横たえられていました。声をかけたら起き上がりそうです。小さな小さな、ボールくらいのかわいい顔でした。1歳になった私の長男に似ていました。

 両親も祖母も自分を責めていました。朝食の準備中にいなくなったこと、坊やは水が大好きだったことを話してくれました。家のそばの中学校の植栽のすき間から中に入り、プールをのぞいたときに落ちてしまったようです。プールの底の白い跡が目に浮かびました。「苦しかったね。かわいそうに…」。坊やの顔をのぞき込んで、号泣してしまいました。プールに自由に入れる状態にしていた中学校にも責任があるのでは、とも感じ、そう書きました。

 写真を2枚頂きました。1枚は新聞掲載後、返しました。もう1枚は頂いて、アルバムの長男の写真の隣に張りました。坊やの笑顔は今も生き続けています。(玄)


プール.jpg「玄」さんの書かれた記事、多くの人は共感するでしょう。私もわかります。特に幼い子を亡くした遺族のつらさは、この上ない苦しみ・悲しみでしょう。そして、この「玄」さんも、自分に1歳の長男がおありで、もしも自分の子が‥などと想像してみたら、取材した遺族の方たちに対して大いに感情移入してしまったことでしょう。自分にとって現実ではないにせよ、遺族の方の気持ちをいっとき共有することができたに違いありません。

上記の記事の1~3段落、5段落目は賛成できます。マスコミに遺族の心を救えるような力があるかどうかは難しいところですが、少なくとも記者の一人として、遺族の気持ちを共感できた、そういう記事は読者の共感をも得ることと思います。

しかし、私が許せないのが第4段落です。感情移入のあまり、玄さんは冷静さをすっかり失ってしまったようです。
かわいい子供を亡くした遺族の悲しみは、一度は誰かへの怒りというエネルギーを持ちます。怒りを誰にもぶつけることができないとやるせない気持ちながら、怒りは自分に向かったり、遺族同士に向かったりしながら、段々消えて行くことと思います。
ここで、事故に関与した人間が存在すると困ったことになります。中学校のプールには、植栽の隙間から入ることが出来てしまった。そしてプールに転落して不幸な運命となってしまった。プールに小さな子供が入れるような状況を放置したヤツは誰だ。許せない。そして怒りはその中学校の管理者に向かいます。校長か、学校設置者か、誰かの襟首を掴んで怒りをぶつけずにはおられない。おまえのせいで私のかわいい子供は命を落としたんだ。

感情的にはわかります。私だってそういう気持ちになったかも知れません。
でも玄さん、ここでは一度冷静に記者の立場に立ち返って欲しかったのです。一緒に中学校の管理者を糾弾するのは間違っています。

事故に遭ってしまったのは2歳の子供です。目を離したらどこに行ってしまったかわかりません。プールの敷地に入って行かなくても、今度は道路に飛び出して車にはねられたかも知れません。鉄道が近ければ線路に立ち入ってしまったかも知れません。この遺族の方達を糾弾するつもりはありませんが、目を離してしまった保護者の責任はどうなのでしょう。そういう議論はすっかり抜け落ちています。

玄さんには記者として、この先は客観的に記事を書いて頂きたかったと思います。以前にも取り上げたことがありますが、子供の事故をデータベース化して、再発を防ぐのに資することを目的としている団体もあるようです。またこの事例をマスコミが取り上げることで、本当にプールを柵などで囲う必要があるというコンセンサスが得られたら、行政に働きかけるべきでしょう。

遺族の方達への感情移入が抜けぬまま、単純に中学校管理者に責任を問おうとする記事を書いたのなら、玄さん、あなたは記者としての視点を失っています。

今まで多くのニュース記事で見て来たように、この中学校の校長、または市町村の教育委員会や首長などを、業過致死罪で警察に訴え有罪を取ったら、果たして子供を失った心は救われるのでしょうか。そしてその学校や設置者、地域にとって何か良いことがあるのでしょうか。
ここまで考えたら、その不毛さに気づいて、違う記事の書き方をして欲しかったのです。

玄さんのような記事は今までも取り上げて来ました。福岡の飲酒運転死亡事故をはじめ、被害者側の感情をことさらに強調して、本来冷静・中立的であるべき刑事罰を厳罰化の方向にねじ曲げようとする動きが目につきます。

どうか刑事と民事をきちんと区別して。そしてそれ以前に、一人の人間として感情の赴くままに筆を走らせることと、記者として紙面に載せる記事を書くこととは、分けて考えて欲しいと願うのです。
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コメント 4

なんちゃって救急医

しばしば覗かせていただいています。

>記者として紙面に載せる記事を書くこととは、分けて考えて欲しいと願うのです。

最後の結論に、私も同意します。

この記者さんは、十分に共感能力はお持ちのようですから、是非これを機に、悲嘆反応の心理プロセスを学んでほしいものです。
by なんちゃって救急医 (2009-04-28 21:15) 

筍ENT

ご訪問ありがとうございます。

共感能力は良いのですが、確かに悲嘆反応‥私も他の記事で取りあげましたが‥を知った上で、何が遺族の方たちを本当に救うかをよく考えて欲しかったですね。

コメントありがとうございます。
by 筍ENT (2009-04-28 21:38) 

きゅんぱち

おっしゃるように、この第4段落は狡っ辛いというか嫌らしいもっていきかたですよね(苦笑)。
なんて言いますか、最近よく言われ始めた

               霞ヶ関文学

にも相通づるような表現というも言うべきでしょうかね(大苦笑)。
by きゅんぱち (2009-04-29 06:06) 

筍ENT

ご訪問ありがとうございます。

ご指摘のように、確かにこの第4段落の書き方は、はっきり誰かを糾弾する訳ではなく、その一方で個人責任を追及することしかしない現行の刑法をしっかり擁護しているとも言えますね。
私も霞ヶ関文学にならないよう気をつけたいと思います(笑) というより、そういう知恵がなく、突っ込みどころ満載の駄文を書き散らしているのですが。

コメントありがとうございます。
by 筍ENT (2009-04-29 20:46) 

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